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先日、名作映画『蠅の王』を観たわけだけれど、
これって現代社会に大いに当てはまることだよね。特にネット社会では。
作品では無人島だったけれど、それをネット内と置き換えればいい。
集団で権威・権力に寄り集まり、見えない『何か』(作品では『怪物・悪魔』だが、ネット社会では『見えない相手』であろうか、それとも目に見えない『意見・思想』か)に怯えながらも、それをある意味崇拝し、獣化・暴徒化していく。
作品では『文明』によって少年たちは我に返るのだが、皮肉にも文明が暴徒化を招いた今は、我に返らせるものは『何で』あろうか。
やはり、自分たちが『人間』であることに気づくことだろうか。集団から離れ、『個』となる。まさに原点回帰。と僕個人としては思う。そもそも『ネット住民』なんてものは存在しないものなのだ。その向こうにいるものはただの個々人、すなわち『人間』であるのだから。『人間』であることを目で見ると、意見の捉え方がまたずいぶん変わってくるからね。
結局、ネット社会では、相手を『人間』『一個人』として捉えていないことが大きいのだろうと。
だから、その意識で暴走が進むと、殺人を犯しても・誹謗中傷など平気でしても、罪の意識が希薄で、自身の罪そのものを闇に隠そうとするのだろう。

結局は、見えない『何か』に踊らされているだけのような気がする。

まあ、ネット社会が生まれる前からも、こういう傾向はあったのだろうが。ネット社会が顕著すぎるのかもね。
やはり人間は集団で生きてはいけない気がするんだよな。ある程度のコミュニティーは必要だろうが、異常な権力・権威に迎合する集団は必要ないと思う。
権力・権威の介在しない集団は、調和、安定、豊かさをもたらすこともあるから全然いいんだけどね(そう簡単にいかないのがネット社会なんだよなぁ。権力・権威をひけらかす輩がどこに潜んでいるか知れないから。そして知らず知らずのうちにその権力に迎合してしまって異常な集団が出来上がってしまっている、と)。


もしかしたら話は大分逸れてしまうかもしれないが(でも、ある意味権力の一部)、
流行を作ってはいけない場で、流行が生まれるのも大きな間違いなんだと思う。本来、その場は、自由な発想を発表する場であって、その自由さが好まれて色々な人々が集まっていたはずなのに、流行が生まれてしまって、人々の目がごく一部にしか向かなくなる。流行に便乗して同じような発想・作品ばかりが生まれてしまう。挙句の果てには自由な発想を否定・淘汰する勘違いな輩が現れてくる。流行がいつの間にか『当たり前』のこととなってしまって偏った考えも当たり前になる。
これって一番愚かしいことだと思う。何のための自由な発想を発表する場所だったんだ、と。

やっぱり、流行が生まれない場は、自由度もあわせて活性しているし、高評価のものは、一層高い評価を受けることにもなっている。
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純章(すみゆき)

Author:純章(すみゆき)
命中率ほぼ0%な射手座の人。
小説家を目指すもなかなか結果出ず。

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